「なにかすごく怒ってるみたいだねえ。早く行ったほうがいい」
おじさんが言いました。
「まだ30分もたってないよね。なにかあったのかな」みっちゃんが首をかしげました。
「先生、さっきは機嫌よかったのにね」みっちゃんの続けざまの問いに、義経くんも首を振るばかりです。
二人の入ってきた入り口と反対側にもドアがあって、ゲームをしていた残りの子たちがゾロゾロ通って行く姿が見えました。
「じゃあな、また来いよ」
岩崎青年が笑って義経くんの背中を叩きました。二人は名残惜しげに何度も振り返り、入って来たドアから店を出ました。おじさんと青年は笑顔で手を振ってくれました。
店を出ると、吉田くんが片足を蹴り上げて、妙な格好でパンチを繰り出しているところでした。
近づくと、そのまま蹴ってこようとするので、二人は逃げました。
「友達にやってはだめだ」
焼きソバのお兄さんが怒りました。ハチマキの下の片眉が吊り上って、ますます怖い顔でした。
「この人、キックやってるんだぜ、俺たち習っちゃった」
吉田君が得意げに言いました。
二人ともへえと驚きましたが、みっちゃんも義経くんもキックがなんなのか知りませんでした。
「余った焼きソバも貰ったんだ」
石井くんはお兄さんから包みを貰っていました。薄皮の舟に入った焼きソバがピンクの紙で包まれています。
「みんなに分けてあげるんだぞ」
お兄さんの言葉に、吉田くんと石井くんは、ハーイと声を揃えました。普段の二人からすると気持ち悪いくらい良い子です。
「ありがとうございましたー」二人はお兄さんにお礼を言って、手を振りながら歩き去って行きます。
残されたみっちゃんと義経くんは、なんだかわからず、噴水ジュースの前で立ち止まったままでした。
「ありがとうございましたー」
みっちゃんがお兄さんに礼をして走って行ったので、義経くんも頭を下げ、あわてて後を追いました。
お兄さんはニカッと笑ってみせました。角刈りとちょびヒゲがとても怖くて、義経くんは全力で逃げました。
「こらー!早く集合せんかーっ!!」
先生が観覧車のほうから叫びながら走って来ました。そちらのほうにいた生徒たちも遅れてついて来ました。全員、グッピーの看板からちょっと離れたところで一列に並ばされました。
八木先生は真っ赤な顔をして怒っていました。
腕を背中で組んだまま、ギロギロとみんなをにらんでいます。
「今日はとても楽しい一日になるはずだったが、残念なことに、お前たちの中には、とんでもない礼儀知らずがいるようだ」
先生の声は低く沈んで、嵐の前の静けさのようです。
「今朝、学校を出発する時、バナナを頂いたな。あのバナナは校長先生が、遠足へ行くお前たちに、なにも用意してやれないのは寂しいとおっしゃって、わざわざ注文して下さったものだ。遠くまで歩くから、途中でお腹も空くだろうと用意して下さったのだ」
「なのに・・」
先生は息を深く吸い込み、一呼吸おきました。
「なのに。お前たちの中にバナナを捨てたやつがいる!校長先生の優しいお心遣いを踏みにじった者がおる!その不届き者は・・」先生の声はどんどん大きく強くなります。
「だれだーっ!!!」
絶叫に近い怒りの声に、全員が首をすくめました。
義経くんはぶるぶると震え、気が遠くなって気絶しそうでした。
なぜなら、バナナを捨てたのは 義経くんだったからです。
どろどろの黄色いかたまりが新品のリックに染み出し、既に原型すら留めていなかったバナナですが、それでも悪いことをしてしまった。校長先生がせっかく用意してくださったものを捨ててしまった。 義経くんは突然あふれ出した罪悪感で胸が張り裂けそうでした。
「全員、バナナを出せ」
先生はまた静かに低い声で言って、一列に並んだみんなを端から端へ見渡しました。
皆、凍りついたように動けませんでした。
「食べた者はいい。だが正直に答えなさい。さあ早く。出せ」先生は再度、うながしました。
寒々とした空気から逃げるように、みなリックを降ろして、のろのろとバナナを出しはじめました。
みっちゃんが、青ざめた顔で微動だにしない 義経くんを不思議そうに見て、小声で呼びかけました。
「 よっちゃん、どうしたの?」
義経くんは答えませんでした。
「全員出したか?」
先生は左から右へひとりひとり見渡しました。
皆、自分のバナナを見ていました。
吉田くんは両手を頭の後ろで組み素知らぬ顔でしたが、エレベーターのお姉さんが皮ですべったのを先生も見ているので、なにも言われませんでした。石井くんも食べたのがバレて、もう怒られた後なので空を見上げています。
先生の視線が 義経くんに注がれました。
「 義経っ!」
先生の怒声を聞き、義経くんは心臓が止まりそうでした。
顔を伏せたままの義経くんにも先生が大股で走り寄る足先が見えます。
「 義経・・」
先生の声が震えていました。
「お前かーーーっ!!!」
突然帽子を取られ、ゴムがグイと伸びて 義経くんの顎が上がりました。
先生は 義経くんの帽子を思い切り地面に叩きつけました。
帽子は軽いので大した速度では落ちませんでしたが、帽子と一緒にひっぱられた髪の毛がとても痛く、それでも 義経くんは先生の顔を見ることが出来ませんでした。
「お前はバナナが嫌いなのか?だから捨てたのか?校長先生が下さったものを捨てたのか?」
先生は矢継ぎ早に叫び、義経くんは他の生徒たちの視線を痛いほどに感じました。
「こんな情けない生徒がうちのクラスにいたとは・・」先生は空を見上げました。
「 義経、顔を上げろ、なぜ捨てたか答えろ」
先生の問いに、 義経くんはゆっくり顔を上げました。涙を堪えるのに懸命でした。
「潰れてて・・黄色い汁がリックに・・」
それだけ答えるのが精一杯でした。
歯を食いしばっても、じわじわと涙が溢れ、今にもこぼれ落ちそうでした。
「拾って来い・・」
先生は 義経くんをにらみつけたまま、最初に注意事項を話した場所を指差しました。
そこに、捨てたバナナがそのまま置いてあるのが見えました。
義経くんはとぼとぼとバナナを取りに歩き始めました。
背を向けたとたん、涙が滝のようにとめどもなく溢れ出し、義経くんは前を見ることが出来ませんでした。
「先生、ぼくのバナナも潰れてる!」
背中越しにみっちゃんの声が聞こえましたが、 義経くんは振り返りもせず、よろけながら歩いて行きます。
先生がみっちゃんのバナナを見ると確かに変色し潰れていましたが、破裂して中身が出ているような様子はありません。
「先生、ぼくのも!」古賀くんが言いました。
「ぼくのも」ヒロシくんも手を上げました。
でも、そう答えた人数はそんなに多くはありませんでした。
怒りで赤くなった先生の顔にギョッとした表情が浮かびましたが、先生はみっちゃんのバナナを手にとり、バナナはこれくらいが一番うまいんだとつぶやきました。