義経くんは溢れる涙を拭いながら、とぼとぼと歩いて行きました。まるで涙をオバQの靴が吸い取っているかのように重い足取りでした。
義経くんはどちらかというとボーッとした子で、吉田くんや石井くんのように目立った行動も無く、みっちゃんのように自分の考えを曲げない子でも無かったので、先生に怒られたことがありません。それに義経くんは八木先生が大好きでした。だから八木先生に怒られたことがとても悲しかったのです。悪いことをしてしまった。校長先生から頂いたバナナを捨ててしまった。義経くんの心は、悲しみと罪の意識で張り裂けそうでした。
よろよろと歩いているうち、左のほうに子供用の踏み台が置いてあるのに気づきました。
それは木の台で、子供が良く来る屋上には、熱帯魚屋さんの水槽前にも、双眼鏡の前にも、小さな覗く映画館の前にも当り前に置いてあるものです。でも置いてある位置が中途半端で、双眼鏡の台がずれたものか、あるいは巨大なアドバルーンを後景に入れて親子で記念撮影する時に使うものか良くわかりません。
義経くんはアドバルーンを見上げ、その巨大さに圧倒されました。近くで見るとこのアドバルーンは本当に大きかったのです。空が見えないくらいでした。これに乗って行けたら・・、そんなことを考えながら義経くんはバナナにたどりつきました。
地面にバナナがありました。
それはぺちゃんこになって、更に無残な姿へと変っていました。皮はどす黒く変色し、飛び出たどろどろの中身も黒ずんで、コンクリートに染みついていました。
義経くんは、しばらくその奇怪な物体を眺め、どろどろが手につかないよう、つまみ上げました。
なぜこんなものを持って、怒っている先生たちのところへ帰らないといけないのかわかりませんでした。
情けなさにまた涙がこみ上げ、義経くんは声を出して泣きました。
戻りたくありませんでした。でも戻らないといけません。義経くんはシャツの袖で涙をぬぐい、振り向きました。八木先生もみっちゃんも吉田くんも石井くんも、児童全員がこちらを見ていました。
今すぐに、この場所から消え去ってしまいたい。義経くんは強くそう願いました。
その時です!
また突風が吹き、ゆっくりとアドバルーンが動いて来ました。泣いている義経くんの辺りがアドバルーンの影で暗くなりました。
逃げ出したい気持ちがそうさせたのでしょう。自分でもよくわからないまま、義経くんは、とっさに踏み台へ駆け寄り、降りてきたアドバルーンへ飛びつきました。多分100回繰り返したところで半分も成功しないはずの行為です。失敗したらその後どう説明していいのか困ったでしょう。でも、必死だった義経くんの手は、しっかりと網の目状のロープを掴んでしまったのです。
アドバルーンの中間ほどには、ロープを固定する突起が八箇所出ており、やや細いロープがそこから網の目状に繋がれ、一本の太いロープとなって地上へと伸びています。義経くんが掴んだのは、網の目状に組まれた、アドバルーンのすぐ下の辺りです。地上から二メートルも無いところでした。
ゆっくりとアドバルーンは戻って行きます。
ぶらーんとぶらさがった義経くんの体は次第にロープと平行になり掴んだ指が痛みました。
義経くんは、自分のとった行動に初めて気づいた様子です。あわてて下を見ましたが、飛び降りるにしては、少し高すぎました。指先が痺れ、今にも離れそうでした。義経くんはロープを両手で強く握り締め、網状になったロープに足をかけようともがきましたが、足を上げるためには腕と腹筋と太ももの力が必要で、足の裏もつりそうでした。
「よしつねーっ!動くなー!」
義経くんの突飛な行動に全員ぼーっとしていましたが、我に返った八木先生が走り始めました。すごい勢いでした。
その声が怖くて、義経くんは片足を上げ、ロープの網に突っ込みました。
「よしつねーーーっ!!!」
先生は鬼のような形相でアドバルーンが固定された鉄製のウィンチへ向かって走りながら、顔はアドバルーンと義経くんを見上げたままでした。先生は義経くんの落としたバナナに気がつきませんでした。
「しぇえ〜!」先生はバナナの皮で滑り、変な声を上げながら、地面と平行に宙を飛んで行きました。
そして思いっきりウィンチに激突しました。先生はそのままぴくぴく痙攣して、弾みでウィンチの固定フックが外れました。
ロープを巻きつけたドラムがガラガラ回転し、アドバルーンは義経くんを乗せたまま、急速に上空へと舞い上がって行きました。
「うわ〜助けて〜!!」エレベーターとは全然違う、しかし自分が確実に空へのぼっていく感覚に、義経くんは涙をはりつけたまま振り返りました。滲んだ視界の中で、みっちゃんたちがやけに遠くに見えました。