みっちゃんはアドバルーンに飛びついた義経くんを見て唖然としました。
普段、そんな思い切ったことをする子ではなかったからです。でも、これは義経くんなりの抗議なのだと思い、なぜ義経くんのバナナだけが潰れて溶けたのか、それはいつだったのか、必死に考えました。原因がハッキリすれば先生の誤解も解けるはずです。学校を出た時、バナナは潰れていませんでした。八木先生自身が一人ずつに配ったのだから間違いありません。それから今までの間にバナナが潰れるような事件といえば・・エレベーターガールのお姉さんの顔が思い浮かびました。
その時です。猛烈な勢いで走って行った八木先生が、ツルッと滑ったように前かがみになって、更にとんでもない勢いで走り始めたではありませんかっ。キャーと女子が叫びました。先生は空中でクロールでもするように両手を振り回して進み、自分から思いっきり飛びました。少なくてもみっちゃんには、自分から飛んだようにしか見えませんでした。その姿はまるで、小人の鉄人28号が低空飛行しているみたいでした。変な声も出していました。
先生はアドバルーン下のワイヤーリールに体当たりし、なにかが外れてアドバルーンごと義経くんは上昇を始めました。みるみるうちに上空へ上がって行きます。先生はピクピクしていて立ち上がりません。悲鳴があがりました。
「よっちゃーんっ!!」振り向いた義経くんに、みっちゃんは大声で叫びました。
「義経くーん!」古賀くんとヒロシくんが真っ先に走り始めました。「せんせー!」女子も田中さんを先頭に駆け出しています。
「おいっ!ピエール!」みっちゃんの背中を叩いて、吉田くんと石井くんも続きました。
みっちゃんも一旦は走り始めましたが、すぐに引き返し、反対にお店の中へ飛び込んで行きました。
「おじさーんっ!岩崎さーんっ!大変ですーっ!!」
みっちゃんはさきほど会ったばかりの二人に、ありったけの声で叫びました。積まれた檻の中から一斉に犬たちが吠えまくり、みっちゃんは勢い余って、鳥かごの山へ突っ込みそうになりました。
「おじさーんっ!!」
驚いたおじさんが店の中から飛び出して来ました。
「あれを!あれを止めてー!」みっちゃんはアドバルーンを指差し、走り始めました。
「なんということだ・・」
熱帯魚のおじさんはしばし絶句し、目前の光景に目を開きました。あの巨大なアドバルーンが上昇し、さきほどまで一緒にいた子供がロープの束にしがみついたまま空へ上がって行くではありませんか。
「うおおおおぉぉぉっ!!」意味不明の叫びを上げ、おじさんも走り始めました。
一陣の光が差したようでした。白衣にねじりハチマキの若者がゲタを飛ばし、惚れ惚れするようなスピードで駆けつけていました。若者は取り巻いた子供たちを押しやり、重力など存在しないかのような身のこなしでロープに飛び移って、スルスルと一緒に上がって行きます。若者は角刈りにちょびヒゲの焼きソバのお兄さんでした。お兄さんは、裸足の足裏で器用にロープを挟み、手足を上手に使って、自らもロープを登って行きます。
熱帯魚をすくう角アミを持ったままの岩崎青年が顔を出し、一瞬凍りついた後に、おじさんの後を追いました。
おじさんは途中でみっちゃんを追い越し、群がる子供たちを掻き分けて、ウィンチに来ました。その前に先生が倒れており、女子たちが取り囲んで仰向けにしていました。額が腫れ上がってざっくり切れていました。
「ハンカチを濡らして冷やすんだ。誰かエレベーターへ行って、お姉さんに救急箱がどこにあるか聞いて来なさい」
おじさんは座り込んだ女子たちに指示を出し、ウィンチを見ました。ウィンチ横にギアの固まりがあり、その隣りでワイヤーのドラムリールがくるくる回転しています。吉田くんと石井くんが手のひらを押さえて顔をしかめていました。古賀くんとヒロシくんはストッパーを探そうとギアの下から四つんばいで見上げていました。
「危ないからどきなさいっ!」おじさんはそう言って自分もウィンチの辺りを探しましたが、そうするうちにもみるみるロープの残りが減って行きます。
「ハッ!」
いたたまれなくなったおじさんは、いきなりロープに飛びつきました。
「あぢっ!」摩擦で手のひらをやけどし、おじさんは地面に落ちて叫びました。焼きソバのお兄さんと違い、飛びついた拍子にロープがひどく揺れました。
「なにすんじゃぼけーっ!」上からお兄さんが叫びました。もう随分上まで登っています。
「銀松さんっ、大丈夫ですか」
岩崎青年とみっちゃんが駆けつけました。
「おお、岩崎くん、わたしは助けを呼んでくる。君は子供たちを頼むっ」
おじさんは、青年を見ると頷いて店のほうに走り出しました。
岩崎青年は血だらけの先生を見て顔をしかめました。みっちゃんはその横をすり抜け、ウィンチを掴んで回し始めました。
なあんだ、最初からそうすれば良かったのです。ロープはぐっと引かれたように突然止まり、軽い衝撃を伝えてから、今度は反対に巻き込まれて行きます。
「代わるよ」
岩崎青年はみっちゃんのよろよろした回し方を見て、その小さな手の上からウィンチを握りました。
「よっちゃーんっ!がんばれー!」みっちゃんは上空を見上げて叫びました。「お兄さーんっ!」「しっかりーっ!」吉田くんと石井くんは焼きソバのお兄さんに声援を送っています。「義経くーん!」「義経くーんっ!」古賀くんが、ヒロシくんが、大岩くんが、ヒロキくんが、みんなが叫んで義経くんに声援を送りました。
アドバルーンは遥か上空へ上がり、しがみつく義経くんもお兄さんも人形のようでした。