「淳ちゃん、早く行って頂戴!」
お姉さんはくるくるフィルムを巻き戻しながら、隣りのお兄さんを見上げました。
「しかし・・ヘリだと風でアドバルーンが煽られてしまうよ。とても危険だ」
「じゃあどうする気?このまま見てるだけなの?」
お姉さんは新しいフィルムを装着し何枚か空撮りしました。細い指が上手に巻き上げレバーを動かしています。
「一の谷先生に電話して来るよ。いい考えがあるかもしれない」お兄さんはいても立ってもいられない感じで走り去って行きました。
「どこから入って来たんだね、君たちは」主任さんはイライラとトランシーバーを耳に当てながらお姉さんを睨みました。
「あら、あんな鉄パイプの柵なんてどかせば済むことだわ」お姉さんはレンズを回してピントを調整し、今度は足元で先生の額を濡れタオルで冷やしている女子児童たちとVANのおじさん、派手な衣装のエレベーターのお姉さんを撮影しています。
「そうよっ!観覧車はまだ動いてる。あれに乗ればもう少し大きな絵になるかもしれないわ」
お姉さんは一人で喋って、児童たちの前を横切り、走リ始めました。主任さんはトランシーバーを下ろし、何か言おうとしましたが、結局口を開いて見送っただけでした。
「キャップー!」ガードマンさんたちが戻って来ました。百貨店の店員さんらしい人たちも一緒です。
布団や折りたたんだマットレス、座布団などを積み上げた鉄の台車を押していました。
「エレベーターいっぱいに売り場から運びましたが、台車が二台しか無くて」
「ご苦労さん、倉石くん、手伝ってやれ!」
主任さんは、さっそくマットレスをウィンチ周りのコンクリートへ敷き始めました。若いガードマンさんたちと店員さんは持ってきた物を地面に降ろし、台車を引いて走って行きました。
「わたしも手伝うよ」VANのおじさんの協力を、主任さんは無言で受け入れました。
お姉さんはポップコーン売り場を走りぬけ、ゴーカート場、流星号のクレーンとメリーゴーランド、モノレールの発着場を横切って、観覧車へ急ぎました。無人の遊園地で乗り物だけが動いているのはなんだかとても寂しい光景です。
お姉さんは、みっちゃんたち児童と大人たちが言い争っている現場に出くわして、方向転換しました。
「こんなものに乗れるはずが無いだろう」
年配のガードマンさんが、アドバルーンのロープを掴み、引いていました。
外郭に沿った地面近くの壁側に鉄の輪がたくさん並んでいて、大量のアドバルーンがそこから上がっています。アドバルーンのフックが、その輪につながれていました。みっちゃんが長い棒を持っていました。棒の先端にもフックがついています。
「ぼくはアドバルーンに乗って、よっちゃんを助けに行くんだ!」みっちゃんは怒っていました。
「このアドバルーンは2mくらいだしヘリウムだよ。おそらく3キロ程度の浮力しか無いだろうね」
熱帯魚のおじさんも、別のアドバルーンを引っ張っています。
「これには乗るのは無理だ」おじさんは言いました。
「なんでだーっ!」吉田くんは両手でアドバルーンのロープを手繰り寄せて掴み、ぶら下がりました。
「うわーっ」足はすぐ地面に着きましたが、ずずっとひきずられ、吉田くんは壁にぶつかりそうになりました。
ちょっと風向きが外側に変わっており、上空のアドバルーンもデパートの外側へ流されています。
全員がハッとして、一際高く浮かび上がった巨大アドバルーンを見ました。横から見ると、義経くんの真下は、完全にデパートの外です。もし今落ちてしまったら、義経くんの体は、屋上どころか7階下の地面に叩きつけられてしまうのです!みんな背筋に氷が入ったように身震いしました。
「あの子の体重は何キロだい?」岩崎青年がみっちゃんに聞きました。
「・・28キロか・・30キロは無いと思います」みっちゃんは目を丸くして答えました。
「岩崎くん・・」
「銀松さん、このアドバルーン、何個ありますか・・」
みんながアドバルーンを目で追い始めました。1個、2個、3個・・
「12個よ。全部で12個あるわ。てことは・・」お姉さんが最初に答えました。
「36キロの浮力があるってことよっ!」
みんなが一斉にバンザイしました。
「全部合せればあの少年を乗せる舟が作れる!」熱帯魚のおじさんは岩崎青年の手を取って叫びました。
「わたしは店で準備して来るよ」
「待ってくれっ!勝手なことをするな」ガードマンのおじさんが今にも走り出しそうなおじさんを止めました。
「じゃあなにか良い案でもあるのかね?あんたたちの布団以外に」
おじさんは、一生懸命布団やマットレスを運んでいるガードマンさんたちを指差しました。
「し、しかし、もうすぐ助けが来る」ガードマンさんは、たじたじになっていました。
「それまで待っていろと言うのかい?今でも状況は最悪じゃないか」おじさんの突っ込みは鋭いです。
「あのアドバルーンはとても高く上がっている。ロープが足りないだろう」
「ロープも舟も店にあるさ。うちをなんだと思っているんだ」
熱帯魚のおじさんはガードマンのおじさんを目で威圧して、走り去りました。
「岩崎くん、後は頼んだよ」去り際の言葉に、岩崎青年はハイと答えました。
ガードマンのおじさんは、トランシーバーを取り出して、主任に連絡をとっています。その後、おじさんも走って戻って行きました。
「さて。キミたちの助けが必要だ。まず子供たち全員をここへ連れて来てくれないかい?みんなでアドバルーンを運ぼう」
岩崎青年は児童たちに言いました。みんな希望に目を輝かせて頷きました。ヒロシくんと古賀くんの二人が駆けて行きました。
「わたしも手伝うわ」お姉さんが協力を申し出ました。観覧車のことなど忘れてしまったようです。
「じゃあ一緒にこの棒でロープを引いて下さい」
岩崎青年は、みっちゃんからフック棒を受け取りました。
「この棒でロープを引いてなるべく近くまでアドバルーンを下げます。その後、児童たちがロープを持ち、アドバルーンのフックを外します。フックを外す役は・・キミとキミだ」
青年は、みっちゃんとヒロキくんを指名しました。
「男子と女子は何人ずつだい?」
「15名ずつです」みっちゃんが答えました。
「じゃあえーと、女子は3名1組で1個、男子は2名1組で1個のアドバルーンを運んで貰うよ。キミたちが指示してくれ」青年は吉田くんと石井くんを指名しました。
「まかせときぃ」二人も任務を貰って満足そうです。
「女子が5組、男子が7組・・・すごいっピッタリ12組だわ!」
岩崎青年はフック棒の先にロープを掛け、お姉さんと二人で屋上の反対側へ走り始めました。観覧車の前を通り、建物の横にある屋外テーブルのところまで行くと、ちょうどアドバルーンは頭の上まで来ていました。広告のノボリが引っ掛かって邪魔でしたが、下側は固定されていないようで、フックで引くとそのまま上に移動させることが出来、大した問題にはなりませんでした。
二人はその大きさに驚きました。直径2メートルのアドバルーンは日差しを遮っていて圧迫感があります。
お姉さんは下げたバックをごそごそし、ボンナイフを取り出しました。
「ああ、助かります。これを持てますか?」岩崎青年は、握ったロープをお姉さんに渡しました。
「あっ」お姉さんはちょっと持ちにくそうです。浮力より風で受ける抵抗が強いようです。
巻物のように上下に軸のついたノボリは真鍮製の輪に紐で結わえられていたので、岩崎青年がボンナイフで切って外しました。
みっちゃんがフックのついたロープの先端を持って走って来ました。青年はロープを輪にしながら巻き取りました。
子供たちが全員揃ってやって来ました。
青年は、まずロープの輪を古賀くんの肩から脇にたすき掛けしました。
そして腕にロープを一巻きさせ、ペアのヒロシくんの腕にも一巻きさせました。二人の頭の上に子供たちより大きなアドバルーンが浮かんでいました。
「痛いか?」岩崎青年の問いに、二人とも首を横に振りました。
「よし、しばらくそこで待っていてくれ」岩崎青年は、そう言うと、吉田くんと石井くんの肩を叩いて戻って行きました。二人は男子二名、女子三名で組を作るようみんなに言いました。
「ぼくたち、ほんとに痛くない?」お姉さんは心配そうに古賀くんとヒロシくんを見ました。
「大丈夫です」ヒロシくんも古賀くんも生真面目な表情で答えます。そう、多少痛くても、空の上で頑張っている義経くんに比べたら、そんなものはとても小さな痛みに違いないのでした。
「次は俺たちだ」石井くんが言いました。
やがて12個のアドバルーンが、29名の児童たちによって持たれました。
「全員、ゆっくり移動するよ」岩崎青年の掛け声で、3年2組のみんなは歩き始めました。
それは異様な光景でした。真上のアドバルーンは後ろにあるいは横に流され、ときおり妙な突風もあって、とても歩きにくいのです。特に最初の頃からロープを腕に巻きつけていた子たちは、食い込んだ跡が赤く腫れ始めていました。
でも、みんな空で必死に助けを待っている義経くんを助けたい一心でした。義経くんを助けるため、少しでも力になりたいと思っていました。
みっちゃんが、ヒロキくんが。吉田くんが、石井くんが。ヒロシくんが、古賀くんが。みちあきくんが、大岩くんが。田中さんが女子児童たちが。皆、一心不乱に一歩ずつアドバルーンを運んで行きます。皆が義経くんの無事を祈っていました。
後ろからついていくお姉さんはもう写真を撮っていませんでした。掛け声をかけて皆を励ましていました。