夕刊のトップはどの新聞も、デパート屋上のアドバルーン事件を大々的に報じていました。でも毎日新報ほどたくさんの状況写真と詳細な記事の書かれている新聞はありませんでした。
カメラのお姉さん、江戸川由利子さんは、義経くんと児童たちの写真でその年の報道写真賞を総なめにしました。デパートには別の用事で来ていて、騒ぎをかぎつけ、屋上へ向かったのだそうです。
お姉さんは、海外での受賞にも決して奢ることなく、その後も連れのお兄さん、星川航空パイロットの万城目淳、その助手の戸川一平と共に、怪異な事件と立ち向かい、報道を続けました。
焼きソバのお兄さん、沢村忠選手は、「真空飛び膝蹴り」という必殺技を編み出し連勝街道を突き進みました。それにつれてキックボクシングというスポーツも爆発的な人気を博し、週に4本のキックボクシング番組が放映されるほどのブームとなりました。その物語は「キックの鬼」というアニメにもなり、少年たちに夢と希望を与えました。
ガードマンの人たちの活躍も美談として繰り返し語られ、彼らの働きは「ザ・ガードマン/アドバルーン大作戦」という映画になりました。
熱帯魚のおじさん、銀松さんは屋上の名物おじさんとして君臨し続け、自分とキックの鬼と義経くんの物語を、お客さんや子供たちに繰り返し繰り返し語り続けたということです。VANのおじさん、山崎さんは、東南アジア諸国を回って珍しい水辺の植物を発見し、京都に帰って自らの水園を造り上げました。
岩崎くだる青年はその後もグッピーの育成を続け、日本で一番有名になるグッピーの専門店を開きました。
八木先生は顔面骨折で入院しましたが二学期の終わりには復職し、他の人々と共に、知事から特別栄誉賞を授与されました。エレベーターのお姉さんはその後、若い寿司職人と結婚して渡米し、なぜかスシマスターとして、カリフォルニアロールなど創作寿司をにぎにぎしたそうです。
吉田くんは、高校中退後、タイに渡って車エビの養殖を始め大成功しました。石井くんはハワイで日本人観光客相手のおみやげ店を開き、ヒロシくんは岩崎青年を慕ってグッピーの育成に従事しました。古賀くんは大学卒業後、北海道で昆布漁を始めたのですが利尻沖で行方不明になりました。女子の田中さんは美食家兼宝玉デザイナーとして著名になりました。みっちゃんは、江戸川由利子さんを慕って毎日新報に入社し、戦場カメラマンになってミャンマー国境へ向かいました。
そして義経くん。
義経くんは「アドバルーンに乗った男」として一躍有名になり、学校中の生徒からその勇気を賞賛されました。もう誰も義経くんをいじめる子はいませんでした。
義経くんはこの事件でバナナが大嫌いになりましたが、アドバルーンで見た空の広さを忘れることが出来ず、宇宙飛行士を目指して猛勉強を開始しました。その甲斐あって、もう少しのところまで進んだのですが急に志を変え、和製シャトルの開発に一生を費やしたそうです。
この事件がきっかけとなって屋外広告物規制法案が可決され、屋外のアドバルーンなどには一定の安全基準が求められることになりました。このデパートのアドバルーンも、大型のビニール風船のような簡易なものに変更されたということです。
忍者部隊月光が本当に存在するのか、この事件以降の目撃例はありません。